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落雷で朝廷に弓引く恐怖を覚えた北条義時
〜承久の乱〜

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 『吾妻鏡』によると・・・

 1221年(承久3年)6月8日戌の刻(午後8時頃)、北条義時の館の釜殿(湯殿)に落雷があった。

 下働きの男一人が死亡。

 北条泰時北条時房らをはじめとする幕府軍が、各地で「朝廷軍を破った」という報が届き始めたときの出来事だった。

 落雷は「朝廷に弓矢を引いたことへの罰」と感じた義時は、大江広元を招いて、

 「泰時の上洛は朝廷を倒すためだが、今このような不気味な出来事があった。

 もしかしたら、幕府の運命もこれまでという前兆ではないだろうか?」

 と語ると、広元は、

 「君臣の運命は、全て天地が決めるもの。

 今度の事は心配することはなく、むしろ幕府にとっては吉例かもしれない。

 かつて頼朝様が奥州を攻めたときにも落雷があったが勝利を収められた。

 幕府にとって落雷は吉兆」

 と言って宥め、一応、陰陽師に占わせたところ「吉」と出たのだという。









承久の乱

 承久の乱は、後鳥羽上皇が起こした打倒北条義時の兵乱。

 後鳥羽上皇方の敗北により、後鳥羽上皇・順徳上皇・土御門上皇が流され、後鳥羽上皇に加担した公家・武士などの所領は没収。

 朝廷の動きや西国御家人を監視するため六波羅探題が設置された。


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