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1017〜1037年頃、藤原北家(冬嗣)の流れをくむ糟屋盛久の四男盛直が城所に領地を与えられ「城所氏」を称した。 貴船神社は、城所氏の屋敷内に鎮守として祀られていたという。 隣接する曹洞宗の浄心寺の墓地一帯が城所城の跡と考えられている。 城所氏は南北朝に活躍した城所藤五郎正揚の代までの約200年の間この地を治めた(正揚の嫡男直賢は、足利尊氏より三河に領地を与えられている。)。 |
高?神(たかおかみのかみ) 闇?神(くらおかみのかみ) |
『吾妻鏡』によると、1192年(建久3年)8月9日、源頼朝は相模国の神社仏閣27ヶ所に妻北条政子の御産加持の命を出した。 しかし、生まれた子が夜泣きをして止まないので、三面荒神に祈願したところ、たちまちに泣き止んだという。 以後、「泣き荒神」と呼ばれ、「夜泣きの神」として祀られるようになったという。 『吾妻鏡』に記述からいって、このとき生まれたのは、のちの三代将軍実朝。 貴船神社の三面大荒神は、かつてこの地にあった常蘇寺の観音堂に祀られていたという。 |
三面大荒神社の前に置かれた牛の石像は、日露戦争の際に牛を献納したことを記念して建立奉納されたものという。 |
頼朝が祈願した泣き荒神 源実朝の誕生 |
平塚市城所343 JR東海道線「平塚駅」からバス 伊勢原団地経由伊勢原駅南口行 「大句」下車徒歩5分 |
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