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鎌倉幕府二代将軍源頼家の側室だった若狭局(比企能員の娘)は、伊豆の修禅寺で頼家が暗殺されると、頼家の位牌を携えて故郷に帰り、比丘尼山の麓に頼家を弔うための壽昌寺を建立したのだ伝えられている。 若狭局は、頼家の形見の櫛を大切にし往事を偲んでは涙にくれていたが、それを見かねた比企尼は、櫛を捨てて思いを断ち切るように諭したのだという。 若狭局が泣く泣く櫛を捨てたのが串引沼なのだとか・・・ |
宗悟寺は、若狭局が源頼家の菩提を弔いため建てた壽昌寺を始まりとしている。 |
源頼家は、1203年(建仁3年)の比企能員の変後に伊豆の修禅寺に幽閉され、翌年7月18日に北条氏によって暗殺された。 |
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