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河口湖畔にある妙法寺は、日蓮に帰依した農民28人が法華堂を建てたことに始まると伝えられている。 1269年(文永6年)、日蓮は富士山五合五勺経ヶ岳で国家安泰の祈念をした後、小立の地を訪れて農民に説法をしていたという。 富士山五合五勺に建てられている八角堂(常唱殿)は、日蓮が法華経を埋納したと伝えられる場所で、そばには日蓮像も建てられている。 妙法寺に伝えられる『妙法寺記』は、武田信虎・信玄の記録をはじめ、富士山麓の生活状況、戦乱、気象、天災等が記された中世史研究の貴重な資料。 (参考:冨士御室浅間神社の『勝山記』)。 |
本尊 | 十界曼荼羅 |
開山 | 日蓮 |
法華経守護の三十番神像(三十体の神像)を祀る堂。 現在の建物は、1886年(明治19年)の火災で焼失後、1890年(明治23年)に伊豆の宮大工勝呂万之助浪義によって建てられた(町文化財)。 |
三十三番神堂の拝殿としての建物。 1886年(明治19年)の火災で焼失後、まもなく復興されたと伝えられている。 かつては、年に二回、伝統芸能の地芝居が行われ、妙法寺境内は多くの観衆で埋め尽くされたという。 近年、衰退してしまった地芝居が復活されているのだという。 |
1887年(明治20年)、船津の井出興五右衛門家の旧宅を移築したもので、1818年(文政元年)の建築物(町文化財)。 |
妙法寺の山門からは霊峰富士を拝むことができる。 |
日蓮の説法を聞いていた村人は、日蓮のために鼻曲の地に草庵を建てたが、信者の中心であった妙法、妙吉、日長は、1274年(文永11年)、村落に近い川窪の地に御堂を建立した。 これが川窪寺屋敷と呼ばれるもので「妙法寺史録」にも記録されているという。 その後、1559年(永禄2年)12月7日の大雨により湖水があふれ、村落や寺も水没してしまったため、翌年、移設された。 それが現在の妙法寺であるという。 河口湖に浮かぶ六角堂は、川窪にあった頃の妙法寺の土台石や踏石が残されている地を史跡として残すために1995年(平成7年)に建立されたもの。 |
日蓮は、1253年(建長5年)、法華宗を開き、翌年、鎌倉に出て、布教を開始した。 鎌倉に入った日蓮が庵を結んだのが松葉ヶ谷だといわれている。 その松葉ヶ谷にある安国論寺には「富士見台」があって、日蓮が毎日富士山に向かって法華経を唱えていた場所と伝えられている。 |
山梨県南都留郡富士河口湖町小立692 富士急行線河口湖駅からバス 「小立入口」下車から徒歩13分 |
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