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世とともに あらき風吹 西の海も 磯べに 波も寄せずとや見し |
「いつも荒い風が吹く西の海も、磯辺に波が寄せなかったことがあるのだろうか」 紫式部に逢うために家の門を叩いたが無視されて帰っていった男が、翌朝に寄こした歌。 1001年(長保3年)4月に夫の藤原宣孝が亡くなって間もなくのことらしいが・・・ 宣孝の子・隆光は、継母である紫式部に思いこがれていたという説がある。 |
かへりては 思ひしりぬや 岩かどに 浮きて寄りける 岸のあだ波 |
「お帰りなってわたしの思いがお分かりでしょうか。岸辺に打ち寄せた浮ついた波は・・・」 「門に阻まれて打ち寄せることなどできない=逢うことはできない」という紫式部の返歌。 参考までに・・・ 『源氏物語』では、空蝉が夫の常陸介を亡くした後に河内守(常陸介の子)から思いをかけられている・・・ |
たが里の 春のたよりに 鶯の 霞に閉づる 宿を訪ふらむ |
「里の春の便りに、どなたに誘われて鴬が霞に閉ざされた喪中の家を訪ねるのでしょう」 年が明けて、男が「門は開きましたか」と言ってきたので詠んだ歌。 |
廬山寺は、紫式部の邸跡に建てられている寺。 ここで書かれた『源氏物語』の完成には、紫式部の実体験も大きな力となっていたのかもしれない。 紫式部は、時々返事の手紙を書いていた男を拒絶したこともあった。 |
紫式部の歌~時々、手紙を返していた男との歌~ |
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