紫式部「光る君へ」


紫式部の歌
~時々、手紙を返していた男との歌~


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 をりをりに
 かくとは見えて
 ささがにの
 いかに思へば
 絶ゆるなるらむ


 「事あるその折に手紙を書いてくれると思っていたのに、どうして絶えることになってしまったのでしょう」

 時々、紫式部から手紙の返事もらっていた男が、返事が来なくなったので詠んだ歌。

 歌が贈られたのは夫・藤原宣孝が亡くなった後の事と考えられるが何年の事かは不明。

 男と紫式部の関係も不明。

 夫の生前からの知り合いで深い関係にはなかったとされるが、もしかすると求婚されていた可能性も。



 霜枯れの
 あさぢにまがふ
 ささがにの
 いかなるをりに
 かくと見ゆらむ


 「霜で枯れた浅茅に紛れ込んでいる蜘蛛は、どんなときに巣をつくるのでしょう?

 (夫が亡くなって儚く生きる私がどういう時に返事を書く思っているのですか?)」

 9月末になって詠んだ紫式部の返歌。

 紫式部は詞書に「返事は九月つごもりになった」と記している。

 男がいつ歌を贈ってきたのかは不明だが、かなりの日数をおいて返歌で、思案した後、男に拒絶の歌を返したということらしい。





京都:蘆山寺
リンクボタン廬山寺

 廬山寺は、紫式部の邸跡に建てられている寺。

 紫式部の歌にある「浅茅」は荒廃した家をさすことが多いが、宣孝を亡くしてひとりで生きる紫式部自身の姿と重ねているのだといわれる。


リンクボタン紫式部の歌~藤原宣孝亡き後に患ったときの歌~


 紫式部に逢うために家の門を叩いたが無視されて帰っていった男もいたらしい。


リンクボタン紫式部の歌~家の門を叩いた男を無視した時の歌~





紫式部の歌










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