1194年(建久5年)8月8日、源頼朝は、長女・大姫の病気治癒祈願のため日向薬師を参詣します。 日向薬師は、行基が開いた霊山寺をそのはじまりとする高野山真言宗の寺院で、古くから薬師如来の霊場として信仰されてきました。 |
7月29日、大姫が危篤状態に陥ります。 八方手を尽くしたといいますが、一向によくなりませんでした。 頼朝は、「この国に2つとない効験のある薬師如来」という日向薬師の参詣を思い立ち、8月8日の早暁に鎌倉を出発し、仏に祈った後、夜になって帰りました。 |
源頼朝の日向参詣〜大姫の病気治癒祈願〜 日向薬師の大太鼓の伝説 |
翌閏8月1日、頼朝は政子・頼家・大姫を伴なって三浦の三崎を訪れているので、日向薬師を参詣して間もなく大姫は快復したのかと・・・ |
大姫の病気は、愛する木曽義高が頼朝に殺されてしまったことが原因といわれています。 義高は木曽義仲の嫡男。 人質として鎌倉へ送られていましたが、名目上、義高と大姫の許嫁とされていたため、二人は仲良く暮らしていました(当時、義高が11歳、大姫は6歳くらいだったといいます。)。 しかし、1184年(元暦元年)1月、頼朝は義仲を討つと、4月には義高も誅殺しています(木曽義高の誅殺)。 |
岩船地蔵堂の石造地蔵尊(岩船地蔵)は、大姫の守本尊と伝えられています。 |
|
|
|