1186年(文治2年)4月8日、鶴岡八幡宮で源頼朝に舞を披露した静御前は、源義経の子を身籠っていたため、その後も鎌倉に留め置かれます。 そして静は、7月29日、安達清経邸で男子を出産します。 生まれてくるのが女子であれば命は助けられたのでしょうが、男子の場合は将来に憂いを残すので殺される運命にありました。 頼朝から赤子を由比ヶ浜に捨てるように命じられた清経は、静から赤子を受け取ろうとしますが、静は赤子を衣に包んで抱き伏せながら泣き続けたといいます。 しかし、助命の願いは叶わず、ついに母の磯禅師が静から赤子を押し取り、清経に渡してしまいます。 これを聞いた北条政子も頼朝に助命を願いますが聞き入れられず、生まれたばかりの赤子は由比ヶ浜で殺されました。 「誕生したばかりなのに生きることが許されない」 母が義経の妾だった故の運命でした。 平清盛に助命されたおかげで、源氏再興の願いを叶えた頼朝ですので、その仲が修復不可能となった義経の子を生かしておくわけにはいかなかったのでしょう。 |
それから2ヶ月後の9月16日、静と磯禅師は、北条政子と娘の大姫から多くの重宝を賜り帰洛します。 その後の静の消息はわかりません。 一説には、由比ヶ浜に身を投げたともいわれています。 |
鶴岡八幡宮の流鏑馬馬場には、静の終焉の地の一つとされる福島県郡山市から静桜が植樹されています。 |
義経を慕う静の舞 |
西行と出会う |
|