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小田原北条氏の家臣である甘糟長俊が、1579年(天正7年)、木造の神像を勧請したとされている。その神像は現存している。 神仏への信心が篤い人物であった長俊は、常楽寺の文殊菩薩像の修理も行ったという。 明治時代に神仏分離令が出されるまで、隣接する多聞院が別当寺であった。 末社の金刀比羅社には崇徳上皇が祀られ、1625年(寛永2年)、甘糟時綱が字神明下にあったものを境内に移したと伝えられている。 |
祭神 | 日本武尊 |
甘糟長俊が勧請して祀ったのは束帯姿の神像で、その台座には1579年(天正7年)4月吉日に長俊が勧請したということが記されているという。 かつては、画像も安置されていたということであるが、現在は安置されていない。 束帯とは、朝廷の公事に着用する礼服のこと。 |
甘糟長俊は、現在もある甘糟家の祖先で、上杉氏、玉縄北条氏に仕えてきた家柄。 1526年(大永6年)、安房の里見実堯が鎌倉に攻め込んだ際には、甘糟氏をはじめとする30数名が討ち死にしたと伝わっている(参考:玉縄首塚)。 |
大船の古道(常楽寺〜熊野神社・多聞院〜切通〜六国見山) |
鎌倉市大船2033 大船駅よりバス常楽寺下車徒歩5分 |
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