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『吾妻鏡』によれば、平康頼は、1167年(仁安元年)、尾張守の代官として赴任したとき、荒れ果てていた義朝の墓に水田三十町を寄付して、小堂を建て、六人の僧に供養させたのだという。 1186年(文治2年)閏7月22日、その功績に応えた源頼朝は、康頼を阿波国麻植保(おえのほ)の保司(ほうし)に任じている。 野間大坊(大御堂寺)の鐘楼堂の背後に康頼の供養塔がある。 |
1190年(建久元年)10月25日、頼朝は上洛の途上、尾張国須佐ノ浦の御家人・須細治部大夫爲基の案内で義朝の墓を参拝した。 平康頼が赴任していた頃からだいぶ時が経っていることから、墓が荒れ果てていることを想像していた頼朝は、立派な堂が建てられ、供養されている光景に感激したという。 寺伝によると、このとき頼朝は地蔵菩薩と不動明王・毘沙門天を納め、伽藍を整備したと伝えられている。 |
愛知県知多郡美浜町大字野間字東畠ケ50 名鉄知多新線 野間駅から徒歩10分 |
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