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最勝金剛院は、九条家の墓を管理するために再興された東福寺の特別由緒寺院。 墓所の奥にある八角堂は九条兼実の廟所。 兼実は、平安末から鎌倉初期の公卿。 別名は「月輪殿」、「後法性寺殿」 1192年(建久2年)3月、後白河法皇が崩御すると関白となり、同年7月、源頼朝の征夷大将軍任官を実現させた。 1207年(承元元年)4月5日没。 法性寺に葬られた。 法性寺内に東福寺を創建した九条道家は兼実の孫。 |
東福寺の寺地には、かつて平安時代中期に藤原忠平が建立した法性寺があった。 |
藤原氏の氏寺として繁栄し、その境内地は泉涌寺の寺域までをも含む広大なものだったが、鎌倉時代には衰微。 現在の法性寺は明治維新後に再興されたもので、忠平ゆかりの千手観音像が安置されている。 |
九条道家によって創建された東福寺は、奈良の東大寺と興福寺の「東」と「福」をとって寺名としている。 京都五山の第四位の格式を誇った寺。 |
京都市東山区本町15丁目778番地 JR東福寺駅から徒歩5分 |
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