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妙覚寺(みょうかくじ)は、1378年(永和4年)、日蓮宗信徒の小野妙覚邸(四条大宮)に創建された寺院。 1483年(文明15年)、室町幕府九代将軍・足利義尚の命により二条衣棚に移転。 戦国時代には織田信長が度々滞在し、千利休による茶会も開かれた。 1582年(天正10年)6月2日に起こった本能寺の変の際には、信長の嫡男信忠が宿泊している。 1585年(天正13年)、豊臣秀吉の京都改造により現在地に移転。 大門(山門)は、秀吉の聚楽第の裏門を移築したものといわれる。(京都府文化財)。 |
本能寺の変時、妙覚寺に宿泊していた織田信忠は、本能寺に駆け付けようとしたが、信長の自刃を知って二条殿に籠城し、自刃。 阿弥陀寺に葬られたのだと伝えられている。 |
本能寺の変が起こった当時の本能寺は、現在地ではなく、四条堀川の辺りにあったのだという。 跡地には本能寺跡の碑が建てられている。 |
本能寺の変で焼失した本能寺は、1589年(天正17年)に豊臣秀吉の命により寺町御池に移転。 |
本能寺の信長公廟は、三男信孝の命によって建てられた。 |
妙覺寺に滞在していた信長の嫡男信忠は、本能寺に駆け付けるが、信長が自刃したことを知る二条殿(二条御所)に籠って戦い、自刃した。 |
大雲院は、信忠の菩提を弔うため二条殿の跡地に建てられた。 現在は祇園に移転している。 |
織田信長の死後100日目にあたる10月10日、豊臣秀吉は大徳寺で盛大な葬儀を執り行った。 |
翌年には大徳寺境内に信長の塔所・総見院を創建している。 |
京都市上京区上御霊前通小川東入下清蔵口町135 地下鉄烏丸線「鞍馬口駅」から徒歩10分 |
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