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現在の三門(山門)は、応仁の乱後の1529年(享禄2年)、連歌師・宗長によって下層が寄進され、1589年(天正17年)、千利休が上層を完成させて「金毛閣」と名づけられた。 千利休は、三門改修にあたって楼上に自身の木像を安置。 その下を豊臣秀吉を通らせたことで怒りをかい、1591年(天正19年)2月28日、聚楽第の屋敷(参考:晴明神社)で自刃させられた。 死後、利休の首は一条戻橋で、自身の木像に踏ませる形で梟首されたと伝えられている。 ※利休切腹の理由は諸説ある。 |
日本に現存する一番古い三門は、東福寺の三門(1425年(応永32年)建立)。 大徳寺の三門はその次に古い三門。 三番目は妙心寺の三門。 |
大徳寺は、1315年(正和4年)創建の臨済宗大徳寺派の大本山。 戦国武将から信仰され、境内には多くの塔頭が建ち並ぶ。 |
京都市北区紫野大徳寺町53 JR京都駅から市バス「大徳寺」下車。 |
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