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お十夜法要の始まり〜平貞国の伝説〜

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お十夜法要


 十夜の念仏会は、平安時代に慈覚大師(円仁)が唐の清涼山から比叡山に伝えたものといわれ、室町時代に後花園天皇によって京都東山の真如堂に伝えられたようです。

 そして、永享年間(1429年〜41年)に平貞国が京都の真如堂に籠もって10日間の念仏を勤めたのが、現在の「お十夜」の始まりなのだと伝えられています。

 お十夜の正式名称は「十日十夜別時念仏会」。

 もともとは10日間にわたって行われる法要でした。



比叡山にない堂
リンクボタンにない堂
(延暦寺西塔)
真如堂
リンクボタン真如堂
(お十夜発祥の地)


 延暦寺西塔にない堂は、常行堂(左)と法華堂(右)が廊下で繋がった建物。

 慈覚大師円仁は、常行堂で引声念仏を行ったのだといいます。





〜伝説!平貞国〜

 世の無常を感じた平(伊勢)貞国は、真如堂に三日三晩の参籠をし、満願の暁には出家しようとしていたが、夢に高僧が現れ

 「おまえが私を信じるなら、来世には必ず救われる。今の世の事は3日まて」

 と告げた。

 すると、三日後に、足利義教に仕えていた兄貞経が隠居を命ぜられて吉野に謹慎したことで、貞国が跡を継ぐことになった。

 お告げがなかったら、自分は出家してしまい、兄の跡を継ぐどころか家が絶えてしまうところだった。

 貞国は、夢のお告げに感謝し、七日七晩重ねて参籠した。

 これが「お十夜」の始まりとなったのだという。


 伊勢貞国は、室町幕府の政所執事を務めた人物。

 1431年(永享3年)に兄貞経が失脚したことにより家督を継いだ。

 貞国の娘は戦国大名となる北条早雲を産んでいる。



伊勢貞国系図



お十夜法要


 光明寺の「お十夜」は、1495年(明応4年)、第九世観誉祐崇(かんよゆうそう)が宮中で「阿弥陀経」の講義を行い、真如堂の僧とともに「引声念仏」を修したことで、後土御門天皇より勅許されました。

 これが浄土宗寺院での「お十夜」の始まりとなります。










お十夜法要


光明寺・海の景色
リンクボタン光明寺

鎌倉市材木座6−17−19
0467−22−0603

鎌倉駅東口から徒歩35分又は
小坪経由逗子駅行バス「光明寺」下車



光明寺境内MAP
大きい地図を見るには・・・
右上のフルスクリーンをクリック。








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