『吾妻鏡』によると・・・ 1193年(建久4年)正月5日、工藤祐経の屋敷にあやしい鳥が飛び込みんできました。 鳥の名は不明ですが、雉(キジ)の雄のようだったのだといいます。 占ってみると、政治を軽んずることのないようにと出たので、神仏に祈ったのだとか。 しかし、この年の5月28日夜半、祐経は富士裾野で曽我兄弟に討たれてしまいます・・・ 『吾妻鏡』には、大事件が起こるかなり前から、それを予告するかのような記事が載せられていることが多いのですが、祐経の件もそうだったのでしょうか??? 参考までに・・・ 工藤氏は、伊豆国狩野荘を拠点としていた武士団。 狩野荘は現在の伊豆市。 伊豆市の鳥は「雉」。 上の雉の画像は、狩野城址の近くで、徳川家康の側室養珠院(お万の方)が滞在したという伊豆市の吉奈温泉入口付近を歩いていた雉。 祐経の死とは関係ありませんが・・・ |
実相寺は工藤祐経の屋敷跡に建てられた寺。 祐経の孫といわれる日昭が建てた法華堂を前身としているのだといいます。 徳川家康の側室養珠院(お万の方)と英勝院(お勝の方)の尽力により再興された三島市の妙法華寺も日昭の法華堂を前身とする寺。 |
石橋山の戦いで自害した工藤茂光、 茂光の孫田代信綱、 曽我兄弟の祖父伊東祐親、 13人の合議制のひとり二階堂行政は、 工藤一族。 |
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