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1183年(寿永2年)7月、平家一門に連れられて都を出た安徳天皇は、9月に屋島へ遷幸され、六萬寺を行在所としたのだという。 一時、安徳天皇は一ノ谷へと遷るが、1184年(寿永3年)2月、平家軍が一ノ谷の戦いで敗れたことから再び屋島へ戻った。 その時も六萬寺が行在所となったのだ伝えられている。 総門は、六萬寺の安徳天皇を守るために築かれた門。 その後、平家軍の本陣は屋島の東麓に移され、安徳天皇の行宮も建てられた。 現在に残されている衡門は、初代高松藩主・松平頼重が再建したもの。 |
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