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藤沢市用田にある中将姫に由来するという祠。 中将姫は、左大臣藤原豊成(横佩の大臣(よこはぎのおとど))の娘。 暗殺や毒殺を企てる継母から逃れ、763年(天平宝字7年)、当麻寺で剃髪して法如比丘尼と名乗った(17歳)。 そして、蓮糸で大曼荼羅を織り上げたという。 鎌倉材木座の光明寺には、当麻曼荼羅の由来を描いた『当麻曼荼羅縁起絵巻』が伝えられ、鎌倉国宝館に寄託されている。 |
継母に虐待されていたという中将姫にまつわる伝説は各地に残され、藤沢市用田字中条もその一つ。 継母から逃れ中条に居着いた中将姫は、見つかるのを恐れて面を付けていた。 その面は「中将姫の祠」の近くにある寿昌寺に預けられていたが、住職がうなされるので、寒川神社に納めたというが現存はしないという。 |
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