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新善光寺は、鎌倉に創建されたのを始まりとする浄土宗の寺院。 山号は不捨山。 室町時代に鎌倉から現在地に移転したものと考えられている。 室町期の建築物と考えられる本堂と1797年(寛政9年)建造の厨子、江戸時代初期の山門(四脚門)は、県の文化財に指定されている。 創建に関する詳細は不明だが、1197年(建久8年)に源頼朝が信濃善光寺を参詣した折、善光寺如来の御分身を請来。 この仏像は北条時政の名越亭に置かれていたが、後に時政の孫・名越朝時が新善光寺を創建して祀ったとも伝えられる。 |
本尊 | 木造阿弥陀三尊像 |
※ | 前立本尊の銅造阿弥陀三尊像は、1696年(元禄9年)鋳造で葉山町の指定文化財 |
名越朝時は、二代執権北条義時の子で、祖父の北条時政の名越亭を引き継いだことから名越を名乗った。 兄に三代執権の北条泰時、弟に連署となった北条重時、七代執権となった北条政村がいる。 信濃善光寺の再建を支援したことで知られている。 |
※ | 『吾妻鏡』によると、新善光寺は、朝時の子時章の名越山荘の近くにあったのだという(弁ヶ谷周辺と考えられている。)。 |
信濃善光寺は、日本最古の仏像といわれ、絶対秘仏の善光寺如来を本尊とする寺。 源頼朝は、1179年(治承3年)に焼けた信濃善光寺を再建し、1197年(建久8年)には自らも参詣したと伝えられている。 頼朝亡き後は、北条氏によって再建及び支援事業が行われている。 『吾妻鏡』によると、1246年(還元4年)3月14日、信濃善光寺の供養が名越朝時の遺言によって子の光時らによって行われ、1253年(建長5年)4月26日には、朝時の弟重時が修造供養を行っている。 |
神奈川県三浦郡葉山町上山口1368
JR逗子駅から衣笠行バス「滝の坂」下車すぐ。 |
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