中世歴史めぐり

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徳川家康



鳥居元忠
~伏見城で討死した三河武士の鑑~


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 鳥居元忠(とりいもとただ)は、1539年(天文8年)、鳥居忠吉の三男として三河国で誕生。

 通称は彦右衛門尉。

 1551年(天文20年)、今川氏の人質だった徳川家康に仕え、以後、多くの合戦で戦功をあげた。

 1600年(慶長5年)8月1日、伏見城の戦いで討死(享年62)。





~死を覚悟していた元忠~

 伏見城の戦いは、家康が会津征伐のため東下している間に起こった合戦。

 関ヶ原の戦いの前哨戦。

 6月16日、大坂城を発った家康伏見城に入ると、留守居役の元忠に

 「伏見に残す兵は3000となってしまうが、苦労をかけてしまってすまぬ」

 と話すと元忠は

 「自分と松平近正がいれば十分。

 もし、大坂方が攻め入ってきたときには討死する覚悟。

 多くの兵を残すことは無駄なことです」

 と答えた。

 喜んだ家康は、元忠と深夜まで酒を酌み交わしたのだという。


 そして、7月17日、石田三成らが家康に宣戦布告。

 7月19日には、大坂方による伏見城の攻撃が開始された。

 覚悟を決めていた元忠は、降伏勧告の使者を斬殺。

 遺体を送り返して徹底抗戦の構えを見せたのだという。

 しかし、8月1日、伏見城は落城。

 元忠をはじめ、内藤家長・松平家忠・松平近正ら800人が討死した。

 元忠の忠勤は「三河武士の鑑」と讃えられた。



伏見城
リンクボタン伏見城

 伏見城は豊臣秀吉が築いた城。

 秀吉の死後、家康が伏見城に入っていた。



百萬遍知恩寺
リンクボタン知恩寺

 知恩寺は、浄土宗開祖の法然が念仏を説いた賀茂の禅坊を前身とする寺。

 討死した鳥居元忠の墓がある。





~血天井~

養源院
リンクボタン養源院

 養源院は、淀殿が父・浅井長政と祖父・浅井久政らの追善のため建立した寺。

 妹の崇源院は、大坂の陣で自害した淀殿と秀頼の供養を営んだのだという。

 間もなく落雷で焼失してしまうが、崇源院伏見城の遺構を用いて再興。

 本堂の天井は、伏見城の戦いで自刃した兵士らの血で染まった廊下を使用しているのだという(血天井)。

 血天井は、勝林院の塔頭宝泉院・正伝寺・源光庵・瑞雲院・宇治市の興聖寺に今も伝えられている。





~鳥居氏~

 鳥居氏は、熊野新宮第十九代別当・行範を祖としているといわれる。

 行範は、平清盛から平姓を賜って平重氏を称し、鳥居法眼とも呼ばれた。

 行範(重氏)の妻は源為義の娘・鳥居禅尼。

 源頼朝の父・源義朝の異母姉妹。

 鳥居禅尼は、頼朝から紀伊国佐野庄・湯橋、但馬国多々良岐庄などの地頭に任命されたが、頼朝亡き後、地頭職は鳥居禅尼の養子に譲り渡されている。

 養子の名は不明だが、行範(重氏)の子・行忠と考えられる。

 行忠は、1221年(承久3年)の承久の乱で朝廷方に与し、乱後、三河国矢作庄渡里へ移って土着。

 名を渡里忠氏と改めた。

 南北朝期の当主・渡里忠景は新田義貞に従うが、義貞が越前国で戦死すると鳥居藤左衛門と名を改めたのだという。

 その子孫が、鳥居忠吉や元忠なのだとか。




関ヶ原の戦い










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