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朝日姫(旭姫・あさひひめ)は、豊臣秀吉の妹。 父は竹阿弥、母はなか(大政所)。 佐治日向守に嫁いだが、1584年(天正12年)の小牧・長久手の戦い後、関白となった秀吉は・・・ 1586年(天正14年)、徳川家康を臣従させるため、日向守と強制的に離縁させ、家康の正室(継室)として岡崎城に下した。 駿府に居を構えたため駿河御前と呼ばれるようになる。 婚姻後、秀吉は家康の上洛を望んでいたようだが・・・ 家康が上洛しなかったため、母の大政所が岡崎に送られ人質となったことで、家康は上洛し、秀吉に臣従することを表明したのだという。 1590年(天正18年)正月14日、京都の聚楽第で死去(47歳)。 小田原征伐への出征準備中だったため、喪を秘して東福寺に葬られたのだという。 |
※ | 家康は、築山殿を失ってから正室を娶っていなかった。 |
※ | 日向守は離縁させられたことで自殺したとも伝えられるが、どうなったのかは定かではない。 |
東福寺の塔頭南明院は、家康が駿河御前(朝日姫)の菩提を弔うために建立したのだという。 朝日姫の法名は「南明院殿光室宗王大禅尼」。 |
小牧・長久手の戦いの和睦の条件として、家康は次男の於義伊(於義丸・後の結城秀康)を秀吉の養子としている。 |
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