中世歴史めぐり

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徳川家康



善光寺如来の祟り?
〜本能寺の変〜



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 1582年(天正10年)3月の甲州征伐で武田勝頼を滅ぼした織田信長は、甲斐善光寺善光寺如来を美濃国の岐阜城下に移している。

 善光寺如来は、武田信玄信濃善光寺から甲斐国に移した絶対秘仏の尊像。

 そして、間もなく起こるのが本能寺の変

 6月2日、明智光秀の謀反により本能寺で信長が自刃。

 信長の嫡男で岐阜城主だった信忠は二条殿で自刃。

 そのため、私利で善光寺如来を持ち出すと祟りがあると噂されたのだという。



信濃善光寺
リンクボタン信濃善光寺
(長野市)

 信濃善光寺の本尊「一光三尊阿弥陀如来像」は、日本最古の仏像と伝えられる絶対秘仏の尊像。



甲斐善光寺金堂
リンクボタン甲斐善光寺
(甲府市)

 甲斐善光寺は、1558年(永禄元年)、合戦による信濃善光寺の焼失をおそれた武田信玄が本尊善光寺如来をはじめとする寺宝を山梨郡板垣郷に移したことに始まる。



甲州征伐


本能寺の変





〜豊臣秀吉も祟られた?〜

 本能寺の変後、善光寺如来は、尾張国の清州城下、三河国の吉田城下、遠江国の浜松城下を経て、甲斐善光寺に戻されるが・・・

 1597年(慶長2年)、豊臣秀吉によって京都の方広寺に移され、翌年、秀吉が病に倒れると、信濃善光寺に戻されたのだという。

 秀吉は善光寺如来が信濃善光寺に戻された翌日に亡くなっている・・・



方広寺
リンクボタン方広寺
(京都)

 方広寺は、豊臣秀吉が東大寺大仏に代わる大仏を安置するために創建。

 地震により大仏が大破してしまったため、善光寺如来を遷座したのだという。










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