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1183年(寿永2年)、倶利伽羅峠の戦いで平家軍を撃破し、平家を都落ちさせて入京を果たした木曽義仲。 しかし、後白河法皇と不和となり法住寺殿を襲撃。 法皇と後鳥羽天皇を幽閉して征東大将軍となるが、1184年(寿永3年)1月、源頼朝が派遣した源範頼と源義経に攻められ、1月20日、近江国粟津で討死にした。 義仲の首は六条河原に晒された後、家臣の手で葬られたのだという。 鎌倉に人質として送られていた嫡男の義高も4月26日に誅殺されている(参考:木曽義高の誅殺)。 |
木曽義仲の墓 (大津:義仲寺) |
木曽塚 (鎌倉:常楽寺) |
『平家物語』によると、入京した義仲は左馬頭、越後守に任ぜられ、朝日将軍の称号を得たのだという。 |
京都市東山区清水八坂上町388 JR京都駅から市内循環バス 「東山安井」下車、徒歩5分。 |
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