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京都宇治:橋姫神社

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宇治・橋姫神社


 646年(大化2年)に宇治橋が架けられた際に、川の女神である瀬織津媛(せおりつひめ)を祀ったのを始まりとしているという。

 当初は宇治橋の三の間に祀られていたが、後に西詰に移され、1870年(明治3年)の洪水によって流された後、1906年(明治39年)に現在地に移された。

 写真に向かって左が橋姫神社、右は住吉神社。





〜宇治の橋姫の伝説〜

  伝説によると、ある都の女が、妬む相手に取り付いて殺すため、鬼女になることを願い、貴船神社に参籠した。

 すると「姿を変えて、三七日間、宇治川に浸かれ」と告げられた。

 そこで女は、長い髪を五つ分けて五本の角とし、顔には朱をさし、体には丹を塗り、鉄輪(かなわ)を逆さに頭に載せ、三本の脚には松明を燃やし、両端を燃やした松明を口にくわえ、計五つの火を灯した。

 そして、宇治川に浸かり続けると願いのとおり鬼女になれた。

 というのが「宇治の橋姫」の伝説。

 鬼女となった橋姫は、妬む女を殺し、親類を殺し、女の相手を殺し、しまいには誰彼かまわず殺しながら、延々と生き続けていたという。

 長い年月が過ぎたある晩、源(渡辺)綱と橋姫が一条戻橋で出会う。

 橋姫は綱に送ってくれるよう頼み、綱がそれを引き受けると、橋姫は鬼女に変わり、綱を捕らえて舞い上がり、愛宕山へ連れ去ろうとするが、綱は北野天満宮の上空で持っていた源氏重代の「髭切の太刀」で鬼女の腕を斬りおとして返り討ちにしたという。
 
 橋姫神社の祭神は、瀬織津媛ということだが、鬼女の橋姫と同一視されることもあり、源綱に返り討ちにあった後、橋の神となったという言い伝えもあるのだとか。



貴船神社
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一条戻橋
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髭切と膝丸〜源家重代の太刀〜





〜宇治十帖・橋姫の古蹟〜

  橋姫神社は、紫式部『源氏物語』「宇治十帖」橋姫の古蹟。

 「宇治十帖」〜橋姫の巻〜では、宇治の山荘で仏道修行をしている光源氏の異母弟・八の宮のことを知った光源氏の次男・が宇治へ通い始め、八の宮の娘・大君に恋をする。



宇治十帖〜紫式部『源氏物語』〜










宇治橋
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橋姫神社

京都府宇治市宇治蓮華47番地

JR奈良線「宇治駅」から徒歩10分
京阪電車宇治線「宇治駅」から徒歩10分



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