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嵐山の桂川(大堰川)の「渡月橋」は、桂川左岸(北側)と中州の中ノ島公園に架かる橋。 承和年間(834 - 848年)に、弘法大師(空海)の弟子で法輪寺を再興した道昌によって架橋されたのを始まりとする。 「十三まいり」で知られる法輪寺参詣のための橋で、かつては「法輪寺橋」と呼ばれていたのだという。 のちに亀山上皇(1249−1305年)が、橋の上の月を眺めて「くまなき月の渡るに似る」と感想を述べたことから「渡月橋」と名付けられた。 当初の渡月橋は今の場所から200メートルほど上流に架けられていたが、1606年(慶長11年)、戦国期の京都の豪商・角倉了以によって現在地に移された。 現在の橋は、1934年(昭和9年)に架けられたもの。 |
法輪寺の「十三まいり」は、13歳になった子の大人の仲間入りを祝う区切りの行事。 その帰りには渡月橋を渡りきるまで振り返ってはいけないと伝えられてきた。せっかく授かった知恵が虚空蔵菩薩のもとに戻ってしまうのだという。 |
中ノ島公園と桂川右岸(南側)に架けられている短い橋は「渡月小橋」(とげつこばし)。 この橋を渡ると法輪寺。 |
桂川の渡月橋より上流は大堰川(おおいがわ)。 その名は平安京遷都以前に大きな堰が築かれたことに由来するのだという。 986年(寛和2年)、藤原道長は円融上皇隣席のもとで「三舟の遊興」を催し、藤原公任が和歌を残している。 紫式部の『源氏物語』では、光源氏の明石時代の愛人・明石の君が上京したとき大堰川のほとりの大堰の邸に住んでいる。 |
三舟の才〜藤原道長の三舟の遊興と藤原公任〜 |
渡月橋を架けた道昌は、東大寺で受戒後、神護寺や東寺で弘法大師(空海)に真言密教を学んだ。 桂川(大堰川)の堤防を改築するなど行基の再来と称された。 |
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