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三条大橋は三条通の鴨川に架けられた橋。 江戸日本橋を起点とする東海道・中山道の終点。 架橋の時期は明らかではないが、1590年(天正18年)に豊臣秀吉によって改修された際の擬宝珠が残されている。 三条大橋付近の河原はかつての処刑場。 釜茹での刑に処せられた石川五右衛門、豊臣秀次の梟首、石田三成の梟首、新選組近藤勇の梟首などが行われている。 |
『東海道中膝栗毛』の弥次郎兵衛と喜多八の像。 『東海道中膝栗毛』は、十返舎一九の滑稽本。 江戸神田八丁堀の栃面屋弥次郎兵衛(とちめんややじろべえ)と居候の喜多八(きたはち)が、江戸から伊勢神宮、京都、大坂をめぐる道中もの。 |
旅の安全を祈願して設置されたもの。 石は源義経の伝説で知られる鞍馬から産出されたものだという。 |
西から数えて2つ目の擬宝珠には、池田屋騒動のときにつけられたという刀傷の跡が残されている。 |
瑞泉寺は豊臣秀次の菩提を弔うために創建された寺。 秀次は謀反の罪で高野山へ追放となり自害した。 その首は三条河原で梟首され、秀次の妻妾、幼児など39名が打首にされたという。 |
平安神宮の神苑にある臥龍橋は、天正年間に豊臣秀吉が架けた三条大橋と五条大橋の橋脚が使用されている。 |
駅伝は、1917年(大正6年)4月27日、三条大橋から東京の上野不忍池間までの間で行われたのが初めてだとされている。 「駅伝」の「駅」は、東海道五十三次の「駅」にちなんだものなのだとか。 |
京阪電車「三条駅」 地下鉄東西線「三条京阪駅」からすぐ |
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