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兜跋毘沙門天(重要文化財)・吉祥天・善膩師童子を祀る堂。 毘沙門天は、観音菩薩が様々な姿に変化して現れる三十三応現身の一つ。 『石山寺縁起』によると・・・ 源頼朝から山城国和束における謀反人を追討するよう命じられた中原親能は、石山寺で戦勝を祈願。 すると毘沙門天が現れ、勝利を収めることができたのだという。 |
中原親能は、鎌倉幕府の草創期に源頼朝に招かれた公家。 政所別当を務めた大江広元の兄。 頼朝の側近として軍事・行政を補佐し、京都守護・政所公事奉行など重職を歴任した。 『石山寺縁起』によると、親能は石山寺に勝南院を建立したのだという。 また、妻の亀谷禅尼は頼朝の侍女三幡の乳母を務め、剃髪後に石山寺に住して宝塔院を建立し、本尊の大日如来の胎内に頼朝の髪を収めて日々勤行したのだという。 |
源頼朝の寄進と伝えられる多宝塔の北西には、頼朝と亀谷禅尼の宝篋印塔が建てられている。 |
石山寺は、聖武天皇の勅願によって良弁が開いた。 東大寺との関りが深い寺院。 日本最古といわれる国宝の多宝塔は、源頼朝の寄進と伝えられる。 |
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