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吉田胎内樹型は、1892年(明治25年)に富士講信者によって発見された。 樹型は、富士山の噴火により流れ出た溶岩が樹木を取り込み、固まった後、燃え尽きた樹木の跡が空洞としてのこされたもの。 その形が女性の胎内に例えられ信仰の対象となった。 内部には木花開耶姫(このはなさくやひめ)が祀られ、富士登拝者は、登山の前日に胎内樹型を訪れ身を清めたという。 吉田胎内樹型は、937(承平7年)の噴火の際に流出したとされる溶岩流の東端にある。 「吉田胎内樹型」は、世界文化遺産「富士山」の構成資産。 |
「富士山」は、平成25年6月22日、カンボジアのプノンペンで開催された第37回ユネスコ世界遺産委員会において、世界遺産一覧表に「記載」することが決定された。 |
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