鎌倉手帳(寺社散策)

鎌倉殿の13人 二代執権北条義時
特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編 特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編



歴史めぐり源頼朝
〜大慈寺建立縁起と頼朝の死因〜








 『吾妻鏡』によると・・・

 1212年(建暦2年)10月11日、源実朝は4月18日から建て始めた堂を見るために大倉郷へと出かけました。

 その時、供をしていた三善康信が実朝に霊夢の話をします。


 1198年(建久9年)の12月頃に見た夢のことです。

 頼朝様の供をして大倉山あたりに行きました。

 そこに一人の老人がおりました。

 その老人が言うには、

 「この地は、清和天皇の時代に相摸丞となった文屋康秀(ふんや の やすひで)が住んでいた所。

 ここに寺を建てなさい。

 私が鎮守となりましょう」

 夢から覚めた私は、すぐに頼朝様に報告しました。

 その時、頼朝様は病気療養中でしたが、

 「もし治ったら寺を建てる」

 とおっしゃられました。

 しかし、その希望は叶うことなく翌年正月に亡くなられてしまい、残念に思っておりましたが、実朝さまが自ら願われて建立されますことは、やはり霊感なのでしょうか。


 この年、実朝が建設を始めたのが大慈寺です。


大慈寺跡碑
リンクボタン大慈寺跡碑


 『吾妻鏡』によると・・・

 「源頼朝は、1198年(建久9年)12月に稲毛重成が架けた相模川の橋の落成供養に出席し、その帰路に落馬。

 それからどれほどの時を経ずして亡くなった(1212年(建暦2年)2月28日条)」

 とされています。

 頼朝の死因については諸説あるようですが・・・

 三善康信源実朝に語った内容からすると、「病気が原因で落馬し、死に至った」と推測できそうです。


源頼朝墓
リンクボタン源頼朝墓

 1199年(建久10年)1月13日に亡くなった頼朝は、持仏堂に葬られました。

 リンクボタン源義経や安徳天皇の怨霊が・・・




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源頼朝









編集:yoritomo-japan.com


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