|
住吉神社は、摂津国佃島の住吉神社(現在の田蓑神社)の分霊を迎えて創建された社。 社伝によると・・・ 天正年間、上洛した徳川家康は、源氏三神社のひとつ摂津国の多田院(現在の多田神社)を参詣する際、住吉神社も参拝。 その時、家康と佃島の人々との関係が生まれ、1590年(天正18年)の小田原征伐後、家康が江戸城に入ると、佃島の漁師33人と住吉神社の神職・平岡権大夫好次が江戸へ下向。 1644年(正保元年)に幕府から鉄砲洲向かいの干潟を賜って築島。 佃島と名づけ、1646年(正保3年)、住吉三神・神功皇后・徳川家康を祀ったのだという。 |
摂津国佃島の住吉神社は、神功皇后が三韓征伐の帰りに立ち寄った際に、白魚を献上した海士(素潜りの漁師)を祀ったのが始まりなのだという。 住吉神社は、田蓑嶋姫神社・住吉神社・田蓑神社と改称しているが、田蓑嶋姫は、住吉大社の子神なのだという。 住吉大社は、多田源氏の祖・源満仲や、河内源氏で鎌倉幕府を開いた源頼朝が信仰した社。 神功皇后は、八幡神といわれた応神天皇の母。 |
1582年(天正10年)6月2日早朝、京都の本能寺では織田信長が明智光秀の謀反で横死(本能寺の変)。 家康が摂津国の堺を遊覧中の出来事だった。 信長の死を知った家康は、伊賀越えで三河国を目指すことにするが・・・ 明智軍による残党狩りが始まっている中で、家康の危機を救ったのは、摂津国佃村の漁師だったのだという。 摂津国の神崎川を渡る際、佃島の漁師(庄屋)だった森孫右衛門が船を貸してくれたおかげで、三河国の岡崎城に帰還できたのだと伝えられている。 |
佃島を築島した漁師たちは浄土真宗の門徒。 京都の西本願寺の分院で、1657年(明暦3年)の明暦の大火で焼失した築地本願寺の再建に尽力したのは、佃島の門徒たちだった。 |
佃忠兵衛は、家康を救ったといわれる摂津国佃島の庄屋・森孫右衛門の従弟で、佃島の初代名主となった人物。 |
佃小橋は、1644年(正保元年)に佃島が築かれた頃に架けられた橋。 現在の橋は、1984(昭和59年)に架けられた。 |
住吉神社の列大祭は8月。 3年に一度の本祭では、佃小橋の下の佃川支川の川底に埋設されている大幟の柱(抱木)が掘り起こされる。 |
東京都中央区佃1−1−14 東京メトロ有楽町線・大江戸線「月島駅」より徒歩5分。 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|