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御影堂(みえどう)は光明寺の中心伽藍。 本尊は、法然自ら作ったという「張子の御影」。 現在の建物は1754年(宝暦4年)の再建。 十八間四面(約33m四方)の入母屋、総欅(ケヤキ)造りの建築物。 |
1175年(承安5年)、浄土宗を開き、光明寺で初めて専修念仏を説いた法然。 全ての人々が平等に救われるというその教えは、庶民の間に広がっていった。 その一方で、比叡山延暦寺や南都興福寺からの弾圧が厳しくなっていく。 そうした情勢の中の1206年(建永元年)、後鳥羽上皇が熊野参詣で留守中のときに、上皇の女官・松虫姫と鈴虫姫が、法然の弟子・住蓮と安楽の鹿ケ谷草庵で行われていた念仏会に参列して出家してしまうという事件が発生。 激怒した上皇は、翌1207年(建永2年)2月、専修念仏の停止を決定。 住蓮と安楽は死罪、その他2名の弟子が処刑された。 さらに法然と親鸞をはじめとする弟子7名を流罪に処した。 土佐国に流されることとなった法然は、旅の途中で弟子の湛空と出会うが、その時、形見を欲しがる湛空に与えたのが「張子の御影」。 この御影は、法然が13歳で比叡山に入るときに母からもらった手紙を水にひたして、水面に映った自らの姿を見ながら作ったものだと伝えられている。 湛空は、のちに二尊院に住持し、御影も二尊院に祀られていたが、いつしか光明寺に移されたのだという。 |
光明寺は熊谷直実が建てた念仏三昧院を始まりとする寺院。 法然の遺骸が荼毘に付されたことにより、光明寺と改められた。 |
長岡京市粟生西条ノ内26−1 JR「長岡京」駅から阪急バス「20,22系統」 「旭が丘ホーム前」下車。 阪急「長岡天神」駅から阪急バス「22系統」 「旭が丘ホーム前」下車 |
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