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耳塚(鼻塚とも呼ばれる)は、朝鮮出兵(慶長の役)で討ち取った朝鮮や明国の兵の耳や鼻を削いで持ち帰ったものを埋葬した塚。 武将たちは、戦功の証としての首級を持ち帰ることが困難だったため、耳や鼻を持ち帰ったのだとか。 塚は1597年(慶長2年)に豊臣秀吉の命により築かれたもの。 2万人の兵の耳と鼻が埋められ、相国寺住持の西笑承兌(さいしょうじょうたい)が京都五山の僧を集めて施餓鬼供養を行なったのだという。 |
方広寺は、豊臣秀吉が東大寺の大仏に代わる大仏を安置するために創建した寺 |
京都市東山区大和大路通七条上ル茶屋町527−2 京阪電車「七条駅」下車 徒歩約8分 |
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