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鐘楼は、仁王門から本堂まで続く登廊を登り切った所にある建物(重要文化財)。 鐘楼から本堂につながる繋廊(つなぎろう)も重要文化財。 |
鐘楼は、仁王門から本堂まで続く登廊を登り切った所にある建物(重要文化財)。 梵鐘は文亀元年銘(1501年)のあるもので「尾上の鐘」と呼ばれる。 藤原定家が詠んだ 「高砂の尾上の鐘の音すなり 暁かけて霜や置くらん」 によるらしい。 |
伝説によると・・・ 山城国木津に野慈という男がいた。 貧しかった野慈は長谷寺に帰依し 「宿願叶ったならば長谷寺を大きくして鐘を寄進する」 と語っていたが、人々は「未来男」といって笑ったのだという。 悲しく思った野慈は、さらに長谷寺に帰依し、霊験を賜って出世を果たし、栗太助貞と名乗ったのだとか・・・ そして、1019年(寛仁3年)、鐘を寄進。 供養のための文に「正六位下木津の未来」と書かれていたことから「未来が鐘」と呼ばれたのだという。 |
長谷寺の鐘は午前6時と正午の二度撞かれ、正午には法螺貝も吹かれる。 そして、夜8時の法螺貝で長谷寺の時報は終わる。 清少納言は『枕草子』に 「師の坊に、男ども、女、童などみなゆきて、つれづれなるに、傍に貝を 俄かに吹き出でたるこそ、いみじう驚かるれ」 と記している。 |
平安時代には、貴族による観音信仰が高まり、藤原道長をはじめ、宮中に仕えた紫式部・清少納言などの女流文学者が盛んに観音霊場を参詣した。 |
清水詣・石山詣・初瀬詣〜平安貴族が信仰した清水寺・石山寺・長谷寺〜 |
奈良県桜井市初瀬731−1 近鉄大阪線「長谷寺駅」下車 徒歩15分 |
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