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駒繋神社は、出雲大社の分霊を勧請して創建されたとされる社。 創建年は不明だが、1056年(天喜4年)4月、源義家が奥州の安倍氏討伐(前九年の役)に向かう途中で子の神に祈願参拝したと伝えられ、1189年(文治5年)7月には、源頼朝が奥州の藤原泰衝征伐に向かう途中で、先祖の義家に倣って参拝したのだと伝えられている。 頼朝が参拝した際、愛馬を松に繋いで戦勝を祈願したことから、子の神が駒繋神社と呼ばれるようになり、明治に入って正式に駒繋神社と称されるようになったのだという。 |
大国主命 (おおくにぬしのみこと) 別名:子の神大物主命 (ねのかみおおものぬしのみこと) |
大国主命は、大国(だいこく)とも読めることから、仏教の神・大黒天と習合していった福神。 駒繋神社は子の神・子明神と呼ばれ、子(ね)とは十二支の「子」のこと(鼠)。 大国主命と大黒天の神使は「鼠」。 大国主命は鼠に助けられ、大黒天は北方(子の方角)の神だからなのだとか・・・ |
1189年(文治5年)、奥州征伐に出陣した源頼朝は、多摩川の矢口を渡り、渋谷へ向かう途中、乗馬で沢を渡ろうとしたところ、馬が何かに驚いて暴れだし、沢の深みに落ちこんで死んでしまった。 その馬を葬った場所が芦毛塚(葦毛塚)。 芦毛(葦毛)の馬だったことから、そう名付けられたのだという。 その後、農家の姥に、大将の馬が死んだのは不吉なので子の明神に祈願するよう進言された頼朝は、戦勝を祈願し、奥州征伐の帰路に再び子の明神を参拝して戦勝報告をしたのだという。 また、頼朝は「この地を通るときは下馬して沢は引いて渡るように」と厳命。 以後、沢は「馬引きの沢」と名付けられ、付近一帯は「下馬引沢村」と呼ばれるようになり、1925年(大正14年)の町制施行により下馬(しもうま)となったのだとか。 |
東京都世田谷区下馬4丁目27番26号 渋谷駅から東急バス渋32〜34 「下馬1丁目」下車徒歩5分 「駒?神社」下車徒歩3分 東急東横線「祐天寺駅」から徒歩15分 東急田園都市線「三軒茶屋駅」から徒歩20分 |
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