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鎌倉七口の一つ亀ヶ谷坂には、建長寺の僧の保養所(延寿堂)があった。 延寿堂の旧跡は現在墓地となっているが、その真ん中には「延寿堂地蔵尊」が置かれている。 |
※ | 普段、墓地に入ることはできません。 |
福山延寿堂の旧跡は、平安時代から死者を火葬にした場所で、里人たちも従ってここに埋葬するようになった。 さて、依有信士、俗名仙次郎は、捶石像(たせきぞう)のお地蔵さまにおすがりして、まだ成仏できずにいる亡者たちを苦しみの世界から救っていただき、その霊を安らかにしたいと考えた。 仙次郎は農業の暇をみて何度も村を訪れ男女を教え導いた。 さらに資金を集めて地蔵の彫刻を進めたが、まだ完成しないうちに病気に倒れたので、多くの同志や老若があとを引き継ぎ、広く僧侶や一般の人々にも知らせようとした。 圓良と相談して入念に造り上げ、厳かに立派な姿にできた。 皆さん、どうかここに葬られた仏の名を明らかにして、この地蔵のご利益を心からありがたいと喜んでほしい。 端山が短く文章にまとめた。 永くこの価値を伝えたい。 (1817年(文化14年)) |
延寿堂地蔵尊入口の道しるべとやぐらに置かれた地蔵。 |
鎌倉七口の一つ亀ヶ谷坂は、「亀もひっくり返るほどの急坂であったから」そう呼ばれるようになったという。 |
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