|
金剛山金乗院平間寺は、真言宗智山派の寺院で、高野山薬王寺、成田山新勝寺とともに関東三本山として知られ、「川崎大師」の名で親しまれている。 本尊は「厄除弘法大師」。 1813年(文化10年)に徳川十一代将軍の家斉が厄除けに訪れたことから、「厄除大師」としての名が広まり、現在でも賑わいを見せている。 |
平安時代、平間兼乗(ひらまかねのり)という武士が、無実の罪で生国の尾張国を追われ、諸国流浪のあげく川崎に辿り着いて漁師として暮らしていた。 ある夜の夢告によって海中から弘法大師の尊像を引き上げた兼乗は、その尊像を浄め、草庵を建てて供養を怠らなかったという。 そして、1128年(大治3年)、諸国遊化の途中だった高野山の尊賢によって寺が建立され、本尊を「厄除弘法大師」と称して奉った。 それが川崎大師の起こりで、兼乗の姓である平間をもって平間寺(へいけんじ)と号された。 その後、平間兼乗は青天白日の身となり、生国の尾張国に帰ることができたのだと伝えられている。 |
開創850年の記念事業として昭和52年に創建された。 四方には、京都・東寺の国宝「四天王像」を模刻した像が安置されている。 |
昭和39年の落慶。 成田山新勝寺の本尊不動明王が勧請されている。 |
戦後、第43世隆超が福島県の有縁地より山門として移築した建物。 大山門の建立に伴い、不動堂の正面に「不動門」として移設された。 |
戦後の復興事業の集大成として平成16年に落慶。 説法釈迦如来が安置され、中国最後の木版大蔵経といわれる『乾隆版大蔵経』が収蔵されている。 |
昭和59年の落慶。 二層には、恵果和上・弘法大師・興教大師の三尊像、両界曼荼羅が、初層には、真言八祖の図像、金剛界五智如来像が、地階慰霊堂には釈迦如来が奉安されている。 |
開創880年事業として平成20年に開設された。 薬師如来像と十二神将像が安置されている。 |
享保年間、大岡越前は「48組」の町火消を設置し、「いろは文字」の組名があった。 明治21年、その起元を永久に伝えるために建立された。 「いろは歌」は、弘法大師が作者といわれているため、川崎大師に建立されたという。 |
葬頭河(そうづか)の婆(三途の川の奪衣婆)が訛って、「しょうづかの婆」となった。 品川のお台場にあって「台場の久兵様」とか「歯のお地蔵さん」と呼ばれていたこともあったという。 |
川崎市川崎区大師町4−48 京急川崎駅より大師線に乗り換え 川崎大師駅下車、徒歩8分。 |
|