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彼岸会は、『吾妻鏡』にも二季彼岸と記されているように春と秋の二度行われる。 彼岸は、川の流れにたとえた向こうの岸で、この世の向こう側という意味があるという。 春の彼岸は、春分の日を中日とした前後の七日間、秋の彼岸は、秋分の日を中日とした前後七日間。 初日を「彼岸の入り」、中日を「彼岸の中日」、最終日を「彼岸の明け」という。 一般的に「入りぼたもちに明けだんご、中の中日赤い飯」といわれることから、彼岸会では、これらの食物を供え供養する。 『吾妻鏡』によると・・・ 1188年(文治4年)6月19日、源頼朝は、春と秋の彼岸の放生会の間、東国においては、殺生を禁じ、山野を焼いて狩りを行う「焼狩」、毒を流して漁をする「毒流」なども禁止している。 1200年(正治2年)2月2日彼岸の初日、北条政子は頼朝の法華堂で、永福寺の僧侶による法要を始めている。 |
我が国に彼岸会が広まったのは平安時代からといわれ、紫式部の『源氏物語』には・・・ 「彼岸の初にていとよき日なりけり」 「彼岸のころほひ渡りたまふ」 と描かれている。 |
彼岸と源氏物語〜彼岸の頃は良い時節〜 |
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