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永勝寺は、もとは鎌倉にあったという浄土真宗の寺院。 各所を転々とした後、慶長年間(1596〜1615)に真海によって現在地に中興されたと伝えられている。 東海道藤沢宿の旅籠小松屋に抱えられていた飯盛女の墓39基がある。 |
飯盛女とは、江戸時代の旅籠で給仕をしていた女性。 給仕というと聞こえが良いが、主目的は遊女としての側面があった。 永勝寺にある飯盛女の墓39基のうち、38基は1761年(宝暦11年)から1801年(享和元年)までに建てられたもの。 |
幕府は、1825年(文政8年)、藤沢外四宿に次のようなお触れを出している。 |
一、 | 旅籠屋一軒に飯盛女二人以上おかない。 |
一、 | 飯盛女に木綿以外の衣類を認めない。 |
一、 | 無理に呼び込み酒食を勧めたり、多額な要求をしない。 |
一、 | 宿内のものはもちろん、助郷人足や近住のものは決して宿泊させない。 |
一、 | 藤沢宿では、江の島その他に参詣にくるものが多いが、その際、飯盛女を出迎えにやらせない。 |
藤沢市本町4−4−15 小田急線「藤沢本町」下車 徒歩5分 |
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