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亀姫(かめひめ)は、徳川家康の長女。 1560年(永禄3年)に駿府で誕生。 母は築山殿。 松平信康は同母兄。 |
奥平信昌(貞昌)は奥三河の国人。 武田氏に従属していたが、1573年(元亀4年)、家康は信昌とその父貞能に対し、長女の亀姫を信昌の正室とするなどの条件を提示して味方に引き入れた。 その後、信昌は長篠城を任され、1575年(天正3年)の長篠の戦いの戦功として、翌年、亀姫が嫁ぐことになる。 |
奥平信昌は、妻の於ふう・弟の仙千代丸・奥平勝次の次男の虎之介を武田氏に人質として差し出していた。 しかし、信昌が家康の家臣となったことで3人は処刑され、鳳来寺山麗に晒されたのだという。 |
1579年(天正7年)、兄の信康の正妻・徳姫(織田信長の娘)が母の築山殿と信康を讒言。 信長に2人の処分を命じられた家康は、築山殿を殺害し、信康には切腹を命じている。 |
築山殿〜正室を殺害し嫡男信康を自害させた徳川家康〜 松平信康〜切腹させられた徳川家康の嫡男〜 大岡弥四郎の謀反〜岡崎城を制圧する予定だった武田勝頼〜 徳姫・五徳・岡崎殿〜織田信長の長女・松平信康の正室女〜 |
1590年(天正18年)、家康が関東移封となったことから、信昌は上野国甘楽郡宮崎3万石に入封。 次男の家治は上野国長根7000石を拝領したが、1592年(天正20年)3月4日に早世(14歳)。 1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い後、信昌が美濃加納10万石に加増転封されると、亀姫は加納御前・加納の方と呼ばれた。 長男の家昌は下野宇都宮10万石を与えられている。 1602年(慶長7年)、信昌の隠居に伴ない三男の忠政が美濃加納藩主となるが、1614年(慶長19年)10月2日に死去(35歳)。 それから間もない10月10日、家昌が死去(38歳)。 さらに翌年の3月14日に信昌が死去。 亀姫は、剃髪して盛徳院と号し、幼くして藩主となった孫たちの後見役を務めたのだという。 1625年(寛永2年)、死去(66歳)。 四男の忠明は、家康から松平姓を許され、三河国作手藩、伊勢国亀山藩、摂津国大坂藩、大和国郡山藩、播磨国姫路藩主となり、1644年(寛永21年)に死去(62歳)。 長女は大久保忠常の正室となっている。 |
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