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細川ガラシャは、明智光秀の三女。 細川忠興の正室。 ガラシャは教名で、本名は玉(珠 たま)または玉子(たまこ)。 1587年(天正15年)に洗礼を受けている。 |
1600年(慶長5年)7月16日、忠興が徳川家康の上杉討伐に従軍。 17日には、石田三成らが家康に宣戦布告。 そして、三成は大坂玉造の細川屋敷にいたガラシャに人質として大坂城に入るよう強要するが、ガラシャはそれを拒絶。 そのため、屋敷を囲まれることに。 ガラシャは屋敷内の侍女・婦人を外へ出し、キリシタンは自殺が禁じられているため、家老の小笠原秀清の介錯によって命を絶った。 忠興は出陣前に「妻に危険が生じたら、妻を殺し、切腹するように」と家臣たちに命じていたのだという。 その後、小笠原秀清は、屋敷に火をかけ自刃している。 ガラシャの辞世として 「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ 」 が伝えられている。 |
ガラシャの骨は、堺のキリシタン墓地に埋葬された後、大坂の崇禅寺へ改葬されたのだという。 細川忠興創建の大徳寺塔頭高桐院にも墓がある。 |
鎌倉と徳川家康〜関ヶ原の戦い〜 伏見城の戦い〜関ヶ原の戦いの前哨戦〜 鳥居元忠〜伏見城で討死にした三河武士の鑑〜 |
岐阜県不破郡関ヶ原町 JR東海道本線「関ヶ原駅」下車 |
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