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金龍寺(きんりゅうじ)は、新田義貞が開いた禅道場が始まりなのだという。 義貞が1338年(延元元年)に越前国で最期を遂げた後、孫の岩松満純が伽藍を整備。 1417年(応永24年)には、同じく孫の横瀬貞氏が義貞の追善のために越前国から遺骨を移して廟所としたのだという。 寺名は義貞の法名「金龍寺殿眞山良悟大禅定門」によるもの。 その後は、横瀬氏(のちに由良に改名)の菩提寺として興隆したが、1590年(天正18年)、豊臣秀吉が小田原北条氏を滅ぼすと、横瀬氏は徳川家康によって常陸国牛久に移封となった。 金龍寺も牛久に移されたが、館林城主の榊原康政が元の地に寺を再興したのだと伝えらえている。 |
※ | 榊原康政は、徳川家康に仕えた徳川四天王の一人。 |
※ | 徳川家康は、新田氏を先祖と自称している。 |
金龍寺の山号は大田山。 院号は義貞院。 本尊は阿弥陀三尊。 宗派は曹洞宗。 |
新田氏は、新田義重を祖とする源氏。 新田義貞は八代目の棟梁。 後醍醐天皇の綸旨を受けて生品神社で挙兵し、鎌倉幕府を滅ぼした。 しかし、足利尊氏と対立して越前国で最期を遂げている。 |
群馬県太田市金山町40−1 |
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