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生品神社(いくしなじんじゃ)は、平安時代からある古社。 祭神は大穴牟遅神(おおあなむち・大国主)。 1333年(元弘3年)5月8日、後醍醐天皇の倒幕の綸旨を受けた新田義貞が挙兵した地と伝えられる。 『太平記』によると・・・ 挙兵時は150騎程度だったが、軍を進めるに従いその数を増し、小手指原の戦い、久米川の戦い、分倍河原の戦いで幕府軍を破って進軍。 5月21日、大潮に乗じて稲村ヶ崎を突破して鎌倉に攻め入り、鎌倉幕府を滅ぼした。 |
新田義貞は、御神木に新田氏の大中黒(一つ引両紋)の旗を掲げて戦勝を祈願したのだという。 |
新田義貞は、源義家(八幡太郎義家)の子義国を祖とする源氏。 上野国新田荘(現在の群馬県太田市)を開発した新田氏の祖・義重から八代目。 義貞の像は、鎌倉の稲村ケ崎で龍神に祈り、太刀を海に投じる光景を表したもの。 |
新田義貞は台源氏館で誕生したのだと伝えられている。 |
反町薬師は、新田義貞の館跡といわれている。 |
金龍寺は、新田義貞の追善のために建立された寺。 |
群馬県太田市新田市野井町1923 |
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