|
五月雨の降り続くある日のこと。 後醍醐天皇は大勢の供を連れてこの辺りへやってきた。 しかし、空模様がますます怪しくなってきたので、かたわらの観音堂に入ってしばらく休息。 この時、後醍醐天皇が、 「ここはなほ 丹生の社にほど近し 祈らば晴れよ 五月雨の空」 と詠むと、急に空が晴れわたり、うららかな日和になったのだとか・・・ それから、雨師観音堂と呼ばれるようになったのだと伝えられている。 |
雨師観音堂は、明治の神仏分離で廃されている。 |
如意輪寺 |
後醍醐天皇陵 |
如意輪寺は吉野に南朝を興した後醍醐天皇の勅願寺。 本堂背後には吉野で崩御した後醍醐天皇の御陵がある。 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|