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1845年(天保16年)の再建の高麗門。 |
奈良へ学匠となるべき師を求めて比叡山延暦寺を下った法然(当時24歳)。 粟生野の村役・高橋茂右衛門宅に一夜の宿を借りた。 茂右衛門夫妻は法然の志を聞いて、「真の教えにたどり着いたなら、最初に私どもに教えを説いてほしい」と頼んだ。 そして、1175年(承安5年)、浄土宗を開いた法然は、約束のとおり、粟生野で念仏の法を説いた。 のちの1563年(永禄6年)、この故事によって、正親町天皇から「法然上人ノ遺廟、光明寺ハ浄土門根元之地ト謂イツベシ」という綸旨を賜ったのだと伝えられている。 |
光明寺は熊谷直実が建てた念仏三昧院を始まりとする寺院。 法然の遺骸が荼毘に付されたことにより、光明寺と改められた。 |
長岡京市粟生西条ノ内26−1 JR「長岡京」駅から阪急バス「20,22系統」 「旭が丘ホーム前」下車。 阪急「長岡天神」駅から阪急バス「22系統」 「旭が丘ホーム前」下車 |
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