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大徳寺塔頭三玄院

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大徳寺三玄院


 三玄院は、1589年(天正17年)、浅野幸長・石田三成・森忠政による創建。

 幸長と三成は豊臣政権の五奉行、忠政は織田信長とともに本能寺で最期を遂げた森蘭丸(成利)の弟(本能寺の変)。
 
 開祖は春屋宗園(しゅんおくそうえん・大徳寺111世)。

 春屋は、今井宗久・千利休などの茶人と交わり、小堀遠州・古田織部・薮内剣仲・長谷川等伯などは春屋に禅を学んだ。

 晩年は黒田官兵衛(如水)の子長政が建てた龍光庵に隠棲し亡くなった。

 墓地には、春屋・三成・忠政・剣仲・織部の墓がある。



〜石田三成と三玄院〜

 1599年(慶長4年)、石田三成佐和山城に亡き母の菩提を弔うための瑞巌寺を建立した際、春屋宗園は、住職に弟子の薫甫宗忠(とうほそうちゅう)を任命し、三玄院で春屋に仕えていた沢庵宗彭も同行させた。

 翌年起こった関ヶ原の戦い佐和山城が陥落すると、宗忠と沢庵は三玄院に落ち延びているが、処刑された三成を三玄院に葬ったのは、宗忠と沢庵だった。


=通常は非公開=









大徳寺
リンクボタン大徳寺

 大徳寺は、1315年(正和4年)創建の臨済宗大徳寺派の大本山。
 戦国武将から信仰され、境内には多くの塔頭が建ち並ぶ。


京都市北区紫野大徳寺町53

JR京都駅から市バス「大徳寺」下車。



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