信長に鳶ヶ巣山砦の奇襲を進言した酒井忠次 |
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1575年(天正3年)5月、武田勝頼が1万5千の兵を率いて長篠城を包囲。 鳥居強右衛門の活躍もあって何とか持ちこたえていた長篠城を救ったのは、徳川四天王のひとり酒井忠次だった! |
鳥居強右衛門〜命を懸けて絶体絶命の長篠城を救った足軽〜 |
鳶ヶ巣山砦は、武田軍の長篠城包囲の要だった陣城。 5月21日早朝、忠次は織田信長の命により鳶ヶ巣山砦を奇襲。 武田信玄の異母弟河窪信実をはじめとする多くの武将を討ち取る大功を挙げた。 ただ、この奇襲は、もともと軍議の席で忠次が信長に進言したものだった。 信長は、軍議の席では「そのような小細工は必要ない」として罵倒し、忠次の案を却下したのだが・・・ 軍議が終わった後、忠次を呼び出して、 「先ほどは、作戦が相手に漏れることを避けるため、わざと却下した。 忠次の作戦は最善である」 として、指揮を忠次に任せ、4千の別働隊を組織させて実行させたのだという。 |
酒井忠次の奇襲が奇襲が成功したことにより、長篠城に籠城していた奥平貞昌(信昌)も戦いに加わっている。 |
愛知県新城市長篠 JR飯田線「三河東郷駅」から徒歩10分 |
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