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長篠・設楽原の戦いは、大量の火縄銃が使用された合戦。 設楽原に布陣した織田信長は、武田の騎馬軍団に対抗するため馬防柵を設けて迎え撃った。 馬防柵は陣城とも呼ばれ、この戦いが日本における野戦築城の始まりといわれる。 設楽原古戦場には、馬防柵が再現されている。 |
設楽原の戦い〜大量の火縄銃(鉄砲)を使用した織田信長〜 設楽原の戦い〜信長に鳶ヶ巣山砦の奇襲を進言した酒井忠次〜 |
当時の設楽原一帯には大きな樹木がなかったことから、信長は岐阜から丸太を運ばせたのだという。 |
のちの関ヶ原の戦いでも多くの陣城が築かれた。 |
愛知県新城市長篠 JR飯田線「三河東郷駅」から徒歩10分 |
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