『吾妻鏡』によると・・・ 1159年(平治元年)12月、平治の乱に敗れ、東国へと向かっていた源義朝が美濃国に差し掛かった頃は、大雪で道は真っ白だったそうです。 『平治物語』によると・・・ 父義朝とともに東国を目指していた頼朝は、12月28日の晩に義朝一行からはぐれ、雪の中をさまよっていたのだそうです。 『吾妻鏡』によると・・・ そこに居合わせたのが近江国の草野定康。 平家の追手から逃すため、氏寺の大吉堂の天井裏へ隠した後、院主の阿願坊をはじめとする僧に守らせて自邸に連れていき、翌年の春まで世話をしたのだとか。 ということで、定康は頼朝にとっては手柄のある者。 定康の所領は、平家の時代には没収されていましたが、1187年(文治3年)2月9日、頼朝はその所領を安堵しています。 源頼朝の助命嘆願をした池禅尼 |
源頼朝が平治の乱で帯びたのは源家重代の「髭切」。 『平家物語』によると・・・ 草野定康に匿われていた頼朝は、そのうち捕えられてしまうだろうと考え、定康に頼んで「髭切」を熱田神宮に預けたのだそうです。 |
|