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高部屋神社(たかべやじんじゃ)は、糟屋庄百二十七ヶ村の総鎮守として崇敬され「糟屋八幡宮」と呼ばれていた古社。 創建年代は不詳。 鎌倉時代に糟屋庄の地頭で源頼朝に仕えた糟屋有季が、新たな社殿を造営。 1551年(天文20年)には、地頭・渡邊石見守が社殿を再興した。 1647年(正保4年)に再建された本殿は、関東大震災で倒壊したが、1929年(昭和4年)に再建(国重文)。 拝殿は1865年(慶応元年)の再建。 |
神倭伊波礼彦命 (かんやまといわれひこのみこと) 誉田別命 (ほむだわけのみこと) 三筒男命 (みつつおのみこと) 大鷦鶺命 (おおさざきのみこと) 息気長足姫命 (おきながたらしひめのみこと) 磐之姫命 (いわのひめのみこと) |
糟屋有季は、相模国大住郡糟屋荘・荘司だった糟屋盛久の子。 源頼朝に仕え、1186年(文治2年)には、源義経の家人・堀景光を生け捕り、中御門東洞院では佐藤忠信を討つ手柄をたてた。 比企能員の娘を妻としていたが、1203年(建仁3年)の比企氏の乱で比企一族とともに討死。 乱後、一族は後鳥羽上皇の仕えていたが、承久の乱で討死したのだという。 有季は、自らの館に誉田別命を祀る新たな社殿を造営。 そのため、高部屋神社は糟屋八幡宮とも呼ばれ、京都の萬福寺七世・悦山道宗揮毫という「八幡宮」の扁額が残されている。 |
陵王面 |
べし見面 |
高部屋神社のある下糟屋では古くから日照りが続くと「雨乞い」が行われてきた。 最後の雨乞いは昭和8年に行われたという。 高部屋神社には、雨乞いに使われた面が残されている。 |
1386年(至徳3年)12月に河内守国宗が鋳造し、平秀憲によって奉納されたもの(神奈川県の重要文化財)。 |
汐汲み神事 |
浜砂撒きの儀 |
「汐汲み神事」は、9月の例大祭の前に大磯の照ヶ崎海岸で行われる祭事。 2017年(平成29年)に150年振りに復活した。 「浜砂撒きの儀」は、「汐汲み神事」で採取した浜砂を神社周辺に撒いて清める祭事。 |
神奈川県伊勢原市下糟屋2202 小田急線「伊勢原」駅から徒歩20分 バス愛甲石田行「粕屋上宿」下車 東海大学病院行「伊勢原市役所北口」下車 |
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