|
墨俣城(すのまたじょう)は、美濃国を流れる長良川の西岸に築かれた城。 1566年(永禄9年)、織田信長の美濃侵攻にあたって、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が一夜にして築き、翌年、信長はこの城を拠点にして美濃攻略を成功させたのだと伝えられる。 現在は、城跡は公園として整備され、大垣市墨俣歴史資料館(模擬天守)が建てられている。 |
墨俣は、戦略上の要衝で、1181年(治承5年)には、平家打倒の挙兵をした源行家が平重衡を大将する平家軍と戦って大敗(墨俣川の戦い)。 源頼朝の異母弟の義円が討死している。 1221年(承久3年)には、後鳥羽上皇が打倒北条義時の挙兵をした承久の乱の合戦場にもなった。 |
1567年(永禄10年)、美濃攻略に成功して稲葉山城を奪取した信長は、本拠地を小牧山から稲葉山へ移し、新たに岐阜城を築いている。 |
岐阜県大垣市墨俣町墨俣1742−1 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|