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大徳寺塔頭黄梅院

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大徳寺黄梅院


 黄梅院(おうばいいん)は、1562年(永禄5年)、織田信長が父信秀の追善供養のために羽柴秀吉(豊臣秀吉)に命じて建立した黄梅庵を始まりとしている。

 開祖は春林宗俶(しゅんりんそうしゅく・大徳寺98世)。

 1586年(天正14年)、豊臣秀吉が本堂と唐門を整備し(重要文化財)、1589年(天正17年)には、小早川隆景(毛利元就の子)が庫裏・表門を改築し、名も黄梅院と改められた。

 庫裏は日本の禅宗寺院において現存する最古のものといわれる(重要文化財)。

 書院南庭の直中庭(じきちゅうてい)は、豊臣秀吉の希望により千利休が作庭したもの。





 1582年(天正10年)、織田信長が本能寺で最期を遂げると、豊臣秀吉は大徳寺で盛大な葬儀を執り行った(本能寺の変)。

 その際、黄梅院を信長の塔所としようとしたが、信長の塔所としては小さすぎるという理由から総見院を創建している。



=通常は非公開=










大徳寺
リンクボタン大徳寺

 大徳寺は、1315年(正和4年)創建の臨済宗大徳寺派の大本山。
 戦国武将から信仰され、境内には多くの塔頭が建ち並ぶ。


京都市北区紫野大徳寺町53

JR京都駅から市バス「大徳寺」下車。



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